心身障害児・者施設の遠足に、後見人として参加させて頂いた。今回で4回目となる。コミュニケーションがほぼ難しい本人との行動は、本人を良く知る為、ケアスタッフと共通的な視点を持つためには重要なことと思っている。サイドに大型リフトがついている大型観光バスに乗ることは、私自身もとてもテンションが上がるし、自然の散策、いちご狩りと毎回企画も楽しい。年に1,2回の貴重な本人の外出機会に、しっかり向き合っているとの印象をとても感じている。
遠足前に、本人を迎えに居室に行ったが、部屋に入った瞬間に本人と目が合い、「こんにちわ!」と挨拶すると、「うー!」と大きな声を出された。調子は変わりなく元気だなとの表面的な行動の確認という意味合いが強く、私自身あまり意識しないやりとりだった。ただ、タイミングが良かったのだと。
しかし、それを見ていた同室者のお母さんは違ったようで、「いつもは無表情で、元気がなく、声も出さないのに、反応し、表情もぱっと変わった。やっぱり、自分の身内は分かるんだ。このお子さんは大人しくて…(たくさんお話頂く・省略)。」
日頃から意識的な面接を行うことと同じくらい、ノンバーバルな視点は持つようにと自分でも心がけていることだが、この場面で感じたことは、ノンバーバルは好き・嫌い、イエス・ノーの自己決定の道具的なコミュニケーションの視点を超えるものであるということだ。障害をもったお子さんに、毎日のように施設に訪れ、長いスパンで愛情のまなざしを注いで来た母親の視点は、すべてを受け入れ、すべてを包み込むものであるし、良いことをたくさん探そうとの視点、それを共有しようとする姿勢に溢れていると感じている。
受け取ったノンバーバルな表出は、正解が分かりにくいものである。しかし、そんなことはどうでもよく、本人をしっかりみつめて、よそ見をしないで対応して欲しいとの親の気持ち、その子らしさを小さな変化からでも感じ取って欲しいとの親の願いが根底にあり、高齢となった親がその価値観の一片を後見人に分けてくれたものと受け止めている。
なかなか訓練の場が乏しいノンバーバルな視点は、今回、周囲の意味づけ、語り直しなどで支援の力を強めたり、方向性を与え、その意識のあり方が、話ができない本人にも、良いものとして伝わっていくということを実体験することができた。これは、親であれば当たり前の関わりかもしれない。しかし、支援者としては、ものすごく意識しないとできないことでもあると再認識した。
遠足前に色々な想いを巡らせることとなったが、遠足ではバスの中の楽しいレクや現地の屋内施設では、保育士さん、看護師さんが2人で抱えて滑り台を体験させるなど、想いがつまったスケジュールが用意されていて、親の信頼が無いと難しいと現実的な思いもあったが、驚きと笑いにただただ私もとりこまれた1日となった。
想いを口に出してみる事、まずはやってみることという基本的な行動についても考える日となった。