一般社団法人シルバーパートナーズに加入

 先日、未成年後見人養成研修を終え、寄り添いの力と社会資源の活用が益々必要であると実感して帰仙した。今回の研修では、独立型の経営者である社会福祉士との交流も有意義であった。明確に後見に特化した業態を保っている方々に尋ねると、後見ニーズは多くあり件数をそれでも増やさないように運営しているとの方もいた。一方で、任意後見は受けないようにしているかた、公証人役場と連携して迅速に対応しているかたなど、考えがさまざまであると感じられた。これは県士会の考え方の影響を少なからず受けているのだと思う。この交流により、県内での後見の社会化、任意後見を増やそうとのスローガンは誰が対応しているのかとの思いが湧いた。

 さて、この度、いつも在宅での後見の件で沢山お世話になっている業者さんの紹介で、一般社団法人シルバーパートナーズに入会することになった。当事務所の顧問である税理士や司法書士が加入しており、何より高齢者の生活を本気で支えようとする様々な業種の人が集まった非営利型法人であることにとても興味をもった。日ごろから、クライエントの感情や信念に寄り添いながら、目的的な行動をしようと考えている私としては、社会福祉士同士で社会福祉士とは何かと言っているだけでなく、実際に地域の他業種のなかで社会福祉士とは、後見人とは何かと有機的な交流を求めてみたいと思った。リソースを探すこと、資格の価値を確認したり、周知したりの具体的な行動である。

 人を支えるには組織力が必要であり、今何とかしなければならない状況を前にした時、社会福祉士という資格や、後見人との権限は本当に無意味ではとの想いが沸き起こることがある。それは、誰かを納得させたり、押さえつけたりとのパワーでの関係は当然無意味であり、本人の意向に沿うということの背景の広さに、力の至らなさを感じることが度々あった。

 そんな時、後見人としての判断の猶予を与えてくれたり、緊急の対応をしてくれた人たちがシルバーパートナーズのひとであった。社会福祉士はことにビジネスという言葉に抵抗感を示すし、一方で独立者の経営ノウハウなどの案内は皆無である。バランスの悪いことは自分で補い、自己責任のみでの運営が現実である。何より社会に働きかける資格でありながら、社会から認知されていない資格であることを認めて行動化することが見えない状況で、機会は有効に活用し高めていきたいと考えている。後見活動を通じて得た、すばらしい出会いに感謝している。

後見人としての成長

こごみをゆでて家族で食べた。私は料理は得意ではないが、作れるものが徐々に増えてきている。特に春に旬を迎える食材が多いのに気が付く。

春は誰にとっても、気持ちがやわらぎ、活動を起こしたくなる季節である。冬は、眠りを連想し、眠りは死につながる不安があると学んだことがある。そのために子供はなかなか一人では眠れないのだと。その冬から、抜けだした春に、希望に充ちた感情が生ずるのは当然のことと思うようになった。

こごみのことである。ある中山間地にすむ、高齢の被後見人がうまいものがあると一緒に里山に行き、料理方法を教えてくれた。自生している場所の特徴、採り方、洗い方、調理方法、保存方法と事細かく教えてくれる。知識を伝達することを発達段階する年代と理屈くさいことを時折思いながら、その生活に根差した知恵を聞くことにのめり込んでいった。

ただ採って、食べる行為ではあったが、次の年には、誰と採ったか、どんな思いで採ったか、またその時の別なエピソードなど、たくさんのことを学びながら、食べるところまで、寄り添うこととなった。このひともそのようにして、覚えてきたのだと理解することができた。

また、別の被保佐人の父親は、訪問した私に、本人と採ってきたというさまざまな山菜を見せて、そして同様に調理法、食べ方を教えてくれる。なかでも、山菜ではないのだが、土手に自生しているイタドリという草をたべることは驚きがあった。酸っぱい味のその草は、適度なゆで加減がやはりあり、とてもおいしかった。まさに自然から頂く味と、本人と一緒になって感じることができた。最初の被後見人との違いを考えた時、父がかわらず息子にこの様な味を食べさせていってほしいとの私への想いが深く感じられたことだ。

仕事のエピソードもそうであるが、食べ物のエピソードもまた、その人を語るうえで欠かせない人生の重要な要素となる。そんなやりとりを毎年繰り返していくうちに、人としての成長を与えてもらう重要な交流と感じられるようになっている。ただ伝統的な視点をもったというだけではなく、食べ物を通じた対話の仕方を体得しながら、他者の人生を自分に取り込んでいると今は言語化できる。そんな人としての成長をさせてもらえる後見人としては、春は具体的にわくわくすることがあるとても嬉しい季節となっている。

構えて自分の家でもやろうというのではなく、被後見人等と一緒になって同じ季節を楽しみ、そしてまた人に伝えていくことは、代理人やら支援者との関係はいっさいなく、生活者としての何気ない一体感だなと思い出す程度のこととなっている。

こごみは妻にてんぷらにもしてもらい、子供たちにこの話をしながら食べたいと思う。

成年後見人への支援・アドバイス業務

 先日、ウイルス性胃腸炎にり患した。手洗い、うがいは神経質に行っていたつもりだったが、実際に発症してしまったのだから言い訳を積み重ねるだけとなる。困ったのは、被後見人に関係する動かなければならない仕事が予定されていることである。

定期の受診の付き添いについては、申し訳なかったのだけれど、ケアマネ―ジャーに代行して頂き、入院中のかたの医師の説明、今後の検討の会議は3日程度先延ばしとして頂いた。人に移るかもしれないと考えられる疾患に感染すると、とにかく迷惑をかけてしまう。 只々早く治さなければ何もできないと布団に入って回復に努めた。

今回は代行や延期が可能な予定ではあったが、生活者である被後見人等を援助する仕事はとにかく突発的な出来事、動かせない予定などがあり、病気になっている暇はない。

また、後見人等が感染症にり患することのほかに、被後見人等が家じまい、引っ越しなどで、後見人ひとりではやりきれない業務が発生することがある。引っ越し業者に頼める潤沢な資金があったり、支援チームに無理言って手伝って頂き、完了できる規模であればよいが、そうとも限らない。一人で車でしこしこ運ぶこともでてくる。

今までの様々な被後見人の対応から、同じ後見人のなかまへの支援として、エンパワメント後見事務所では、後見人活動協働支援業務として、病気や出張時など不在時の代行訪問、引っ越し時の搬入出などの協力をその他の事業として行っている。電話で連絡をとりながらの代理委任が可能な範囲での代行と、引っ越し業者ではないので、できる範囲での一緒にものを運ぶ手伝いである。相互協力の考えであるので、今後は参加したい後見人がいれば、申し出て頂き、そのスケールが増えれば対応力も大きくなると考えている。

どうしても誰かに行ってもらいたい状況があったら、ご連絡ください。現状では1時間1,080円を予定している。また、SVにまで至らない程度での後見人等からの相談も随時お受けしている。

090-1374-5600 手伝いが必要な内容をお知らせください。

写真療法の効用とSW的活用の視点

福祉まつり「ウエルフェア2018」(障害者週間記念式典)に参加した。今回は一般参加ではなく、被後見人(以下、本人という)の補助としての同行である。私が研鑽の一つとして行っている写真療法の番外編として、本人が撮影した写真を障害者の写真コンテストに応募したところ、ビギナーズラックもあったのかうれしいことに入賞したため、表彰式に参加となった。

今まで、カメラを触ったことなど無かった本人ではあったが、知的な課題等があっても、物おじしない性格が後押しして、お世話になっているケアワーカーさんを「お世話になっている人」という視点で撮影し、温かみのある写真が撮れた。

言葉の引き出しが少なかったり、話そうとしても発声までの過程でなかなか会話まで上がってこなかったりするかた数人に、写真療法の知見を活用して、言語化や想いの共有をすることで、支援の手がかりやほかの場面でのコミュニケーションや行動の広がりを期待して行ってきた。何を撮ったのか、なぜ気になったのかなど、撮影後の対話がとても重要で、驚きが度々ある楽しい時間でもある。写真には投影性があり、無意識下で自分を重ね合わせた被写体を撮るという部分については、分析的な視点は深めず、本人がどうとらえているか、湧き上がってくる言葉を拾い、それを様々な生活場面で、よい方向に促進させるのが私の立ち位置である。

開始当初は、写真の技術を高めようとしたり、義務的に撮らせようとしたりと、口うるさくなる家族や援助者にしっかり対応したり、補助的に好き嫌いシートを作成して、無理に嫌いな被写体(場所など)選ばないで済むことも検討した。

本来、グループワークで行われる写真療法を、本人たちと私の時間制約や撮りたいものの都合から、必要なエッセンスを加えたり、削除したりしながら続けてきたため、手順を厳格に守って行っている先駆者や治療目的の療法家には、注意を受けるかもしれないが、自主性、回避性という基盤となることへの配慮だけはしっかり心に止めて行ってきた。

そんなこんなで、応募した方みなが受賞となった。タイトルも本人が支援者と相談して決めたもの、撮影意図も撮影後の対話、フィードバックから拾い上げたものを代筆して提出した。

正直なところ、受賞後の対応は具体的には考えていなかったため、支援者や施設で、ちょっとしたうれしい騒ぎとなった。レクの時間を使い、展示会場まで作品を実際に見に行ってくれたり、表彰のためのおめかしをどのようにしようか話し合ったりして準備された。おひとりは、在宅酸素を始めたばかりであったので、ボンベの手配などもあった。

写真撮影が今回のうれしいばたばたや、ちょっと大変だったがお祝い膳も外食できてたことにつながり、自分の撮ったもの、その気持ちが周囲に影響を与える力があることに、本人たちは、ほんのり気づかれたようである。撮れた写真を評価的に扱わないという部分に、今後の関わりに課題は残ったが、写真のミクロからマクロ面までひっぱる力を私自身感じ取れた、楽しい年末の思い出となった。

私の支援方針は理論や療法を援助計画に導入するなど、ミクロ面に注力することで、エグゾ、マクロへの効果を考えていくことである。写真療法もその一つで、今後は個別支援に留まらず、写真療法家協会の実施手順を維持した療法に注力し、小グループでの実施も考えている。ボランティアなど一緒に行ってみたいかた、導入したい施設があればご連絡を頂ければ嬉しい限りです。

身上保護(監護)について思う。

最近、身上保護(監護)¹に関係する調整ですっきりしないことがあったので、書き留めて整理することとする。それは、被後見人を入所させてもらう流れとなっていた施設のインテークワーカー²から初めての電話があり、そのなかで、私のことについて「身上監護を行わない方針というか、信条で対応されているということですね。」と言いきられたことにある。いつもであれば、施設の相談員から身上監護とのワードを聞いただけで嬉しく(知っている!と)なるのだが、ゆっくり話せない場面で、携帯電話で丁寧に否定することもできないまま、後日入所は受け入れ難しいとケアマネージャーに連絡があり、御縁はそこで終わってしまった。(最終的には、別の安心できるところに入所できたので、ケアマネージャーには心から感謝です。)

内容は、施設で発生する色々な状況において、「受診は毎回連れて行ってもらうことでよいでしょうか。」との問い合わせである。私はうかつにも、正直に「施設の機能も伺いながら、必要性を判断して対応させてもらいます。」と答えたのである。

後見人の知識が少しでもある施設は、リソースの視点をもち、後見人を施設の機能を補完するものとして、サービス計画を作ろうとしてくれる。私も介護計画等に、存在やサービス内容を記載して頂くことはを周囲に推奨し、関わりの具体化を行っているが、この際大事な点は、後見人は実際の身体機能を補完する援助者ではなく、判断を支援(代行)する者という基本の部分である。

私は、状況が見えない施設生活者のアセスメントのため、または、自閉傾向が強い言葉数が少ない方のニーズを掘り当てることなどを目的に、買い物や釣り、写真療法などで一緒に外出し、そこで垣間見られた価値観をもとに日々の対話の個別性を高める視点を設けたり、進路について検討していく方法をとったりしている。それは、施設で退屈している本人を、介助して、気分転換させてあげるという考えではなく、アセスメントの行為なのである。

後見制度に関心をもっている施設の相談員でも、事実行為という概念は知らないことが多い。後見制度は、上記のように直接何かをしてあげるため後見人が動くことは事実行為といい、契約などの判断をすることについて法律行為という。後見人の行うべき業務はこの法律行為であり、事実行為は行わないとされている。事実行為は、それを生業としているヘルパーなど適切なかたに後見人が依頼する(契約)立場となる。

しかしながら、身上監護を後見の業務の中心においている社会福祉士であって、感情を丁寧に扱いたいという方針で行動している私としては、事実行為は必要と判断すれば、ばんばん行っているし、本人すら知らなかった感情や考えを掘り当てるような関わりは、後見人という近い存在であるからこそと、その部分にやりがいをもっている。この関わりが、外出をさせてくれる人=後見人は事実行為をするものというかんたんな勘違いを生む可能性があることも理解している。

何を行うにも、理由と根拠を周囲に理解してもらう取り組みは欠かせないということに尽きると思うので、少なくとも周りにいるケアマネージャー等支援者には、しっかり説明をして行きたいと思っている。

自己決定支援の考えが後見の領域でもここ数年で高まってきており、判断ができる内容や場面等アセスメントをすることが、さらに重要となって来ている。介護が昔あまりアセスメントせずに、行われていたことも思い出すが、過剰な支援の提供による権利侵害を無くそうとの考えは、その人の生い立ちや価値基準を知らずに実務をしている人が語ってしまうとしたら画餅となりえる。

法律行為は、その行為に至るまでの準備として後見人の事実行為も必要とするし、その準備においても、その人の価値基準等を知る関わりがなくして、行えないのである。

施設の人材不足や、リスクマネジメントから本来業務からはみ出た部分は家族にとの考えは十分に理解できる。そして、後見人は家族の代りという視点も理解はできる。しかし、本来の機能をうやむやにして安易な介護の分担とならない、自己決定のための関係者のスキルの成熟が今後さらに課題になると言える。

すくなくとも、事実行為がよく分かり、事実行為が=身上保護ではないという知識だけは、明確に伝える必要があると感じている。

また、対応が面倒ではない被後見人等を担当したいとの社会福祉士がいるとの噂が、アンテナの高くない私の耳にも届いてしまっている。これは、本稿で取り上げた内容をすべて、屁理屈と落としめ、何より社会福祉士の資格価値が疑われる発言だと思うので、同じ資格の仲間として、専門性を保って欲しいと願うばかりである。

注釈

1)後見人の業務には、財産の管理と身の回りのことについて取り決めて、生活を動かしていく身上保護(監護)がある。直接の介護等世話をすることではない。

2)入所を案内したり、判断する中心となる施設の相談員

 

 

 

遠足とノンバーバルな視点

心身障害児・者施設の遠足に、後見人として参加させて頂いた。今回で4回目となる。コミュニケーションがほぼ難しい本人との行動は、本人を良く知る為、ケアスタッフと共通的な視点を持つためには重要なことと思っている。サイドに大型リフトがついている大型観光バスに乗ることは、私自身もとてもテンションが上がるし、自然の散策、いちご狩りと毎回企画も楽しい。年に1,2回の貴重な本人の外出機会に、しっかり向き合っているとの印象をとても感じている。

遠足前に、本人を迎えに居室に行ったが、部屋に入った瞬間に本人と目が合い、「こんにちわ!」と挨拶すると、「うー!」と大きな声を出された。調子は変わりなく元気だなとの表面的な行動の確認という意味合いが強く、私自身あまり意識しないやりとりだった。ただ、タイミングが良かったのだと。

しかし、それを見ていた同室者のお母さんは違ったようで、「いつもは無表情で、元気がなく、声も出さないのに、反応し、表情もぱっと変わった。やっぱり、自分の身内は分かるんだ。このお子さんは大人しくて…(たくさんお話頂く・省略)。」

日頃から意識的な面接を行うことと同じくらい、ノンバーバルな視点は持つようにと自分でも心がけていることだが、この場面で感じたことは、ノンバーバルは好き・嫌い、イエス・ノーの自己決定の道具的なコミュニケーションの視点を超えるものであるということだ。障害をもったお子さんに、毎日のように施設に訪れ、長いスパンで愛情のまなざしを注いで来た母親の視点は、すべてを受け入れ、すべてを包み込むものであるし、良いことをたくさん探そうとの視点、それを共有しようとする姿勢に溢れていると感じている。

受け取ったノンバーバルな表出は、正解が分かりにくいものである。しかし、そんなことはどうでもよく、本人をしっかりみつめて、よそ見をしないで対応して欲しいとの親の気持ち、その子らしさを小さな変化からでも感じ取って欲しいとの親の願いが根底にあり、高齢となった親がその価値観の一片を後見人に分けてくれたものと受け止めている。

なかなか訓練の場が乏しいノンバーバルな視点は、今回、周囲の意味づけ、語り直しなどで支援の力を強めたり、方向性を与え、その意識のあり方が、話ができない本人にも、良いものとして伝わっていくということを実体験することができた。これは、親であれば当たり前の関わりかもしれない。しかし、支援者としては、ものすごく意識しないとできないことでもあると再認識した。

遠足前に色々な想いを巡らせることとなったが、遠足ではバスの中の楽しいレクや現地の屋内施設では、保育士さん、看護師さんが2人で抱えて滑り台を体験させるなど、想いがつまったスケジュールが用意されていて、親の信頼が無いと難しいと現実的な思いもあったが、驚きと笑いにただただ私もとりこまれた1日となった。

想いを口に出してみる事、まずはやってみることという基本的な行動についても考える日となった。

後見人の医療同意への参加

本日は、被後見人が癌の手術のため、その付き添いで病院におり、今までの経過を振り返ってみる。今回70代前半の被後見人が癌の手術に至るまでは、目的的な対話の場を意識的に持ち、本人のナラティブ視点や感情への適切な反応に注力して病気をどうするかについて考えてきた。

現状では後見人等には、医療の同意権はなく、遠くても親族を探して代理での同意を検討するか、大きな変化が考えられる事案については消極的な判断で経過を見るとする場の合意で対処するという支援が多く見られている。中には無権代理で、代理人がいない方が積極的にことが進み、結果にかけた一か八かの支援があることも耳に入る。

今回は、医療同意の検討をシート化して私自身が整理しながら、また適切な形で検討した内容を後見センターに上申することも意識に置き、今後の自己決定支援がどのように進んでいくのかイメージを広げながらの援助だった。

会議の場での、私の捉え方の理論はバイオサイコソーシャルモデルである。

主治医は、バイオ面で予後、疼痛や手術特有のつっぱりなどの不具合をすべて説明してくれた上で、寛解に持っていけると目標を設定した。

入所している施設では、ある程度ながく入院しても、部屋を開けて待つこと、予後のリハビリはPTが検討して実施してくれる予定となっていること、入院中の洗濯等のフォローにあわせて声を掛けに来てくれることを提案してくれ、温かいソーシャルとしての存在を目標としてくれた。

肝心の本人は、知的に障害があるものの、しこりが痛い、取って欲しい、入院は寝ているが嫌だが、言うことを聞いて我慢するとの言葉を引き出すことができた。どうなるか怖いとの発言が何度も聞かれ、生きるために皆で支援することを伝えるとその都度にっこりされた。治療について前向きであることが今回の検討で大きなポイントとなった。この気持ちを支えて行こうとの方針がサイコの視点として色々な心の動きをサポートしていくとの支援者の目標となった。

術後、体の変化を本人が触れ、目視し、女性としてどのような反応を示すか。そのことを中心とした術後サポートがうまく築けていけるかが、支援のポイントである。私は男性の後見人であるため、本人とは信頼関係が形成されているとはいえ限界を感じる時である。

手術を乗り越えた彼女に精いっぱいのねぎらいの言葉をかけたいと考えている。